人権とは

2017年09月26日


問題提起。(一部編集しました。)

一個人の意見です。長くなります。感情のまま書くのでご了承願います。

最後まで読んでいただき、ご指摘、ご意見あった場合は是非是非議論したいと思います。




日本国憲法では、次の3つの項目を基本原則として定めています。
国民主権
主権とは、国の意思を決定する権利のことを言います。
この主権が国民にあるということは、国の意思を国民が決定できるということ。

本的人権の尊重

基本的人権とは、人が生まれながらにして持っている権利のことです。例えば生存する権利や自由を求める権利など。
この権利は最大限に尊重される必要があり、侵すことのできない永久の権利
平和主義
「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」
※戦力の不保持とは、軍隊その他の戦力を持たないこと。
※交戦権の否認とは、国家が戦争をする権利を認めないこと。  

自由権
自由権とは、法律に反しない限り国民の自由が保障されていること
例えば表現の自由、思想の自由、宗教の自由。日本国民はこういった自由の享受
※国に反発する発言をすると逮捕、国を脅かすような思想の持ち主は国外追放という国もあります。
社会権
社会権とは、人間らしい生活。例えば、教育を受ける権利や健康で文化的な最低限度の生活を営む権利
平等権
すべての日本国民は法の下の平等であって、性別や人種・思想によって差別を受けることのない権利を持っています。

その他参政権など省略


今日本は誰の人権を必死で守ってるの?

人権派団体と呼ばれるものは多数存在しております。

移民を迎え入れようとしている団体、犯罪者救済の団体、この二つに

絞って私の考えを書きたいと思っています。一般人として、一国民として

どうなの?と思うことを書きます。真っ向から否定するわけではないです。

あくまでも私はこう思いますが、どういった思いなのかを知りたい。

それだけです。多くの人権派団体の皆様は、

人の権利が迫害されている!救わなければ!という気高い思考からのものでしょう。そこに利益など求めていなくて、人を救いたいという熱い思いがあったからでしょう。人を無差別に殺してはいけない。戦争反対。人々は助け合うべき。

差別など世界からなくすべき。

なくなればよいな。本当になくなるならよいな。平和的主観からみると

誰もがそう思っていることでしょう。誰もが思っているんです

そこを前提として世界をみたときに、

じゃあなんでこんなに反対する人がいるのだろうと思いませんか?

同じことを誰もが思っているのに、なんか胡散臭い。と思う人も

いますよね。それはなぜでしょうか。

世界にはいろんな思想を持った国家があります。移民受入れ派は、

「地獄のような場所から命からがら逃げて来られた難民の方。救うべき、そこに差別があってはならない。」とお考えでしょう。崇高な考えだと思います。日本はそれによって平和だったから、それを広めましょう。根は優しい勇気を持った人達なのでしょう。

問題点は、

自国民は横に置いてでも他国の大変な状況にあった方を救おうとすること。

自国民の権利はどうなりますか?思想が違う人々(1~2人ではありません。何百万人単位です。)との共存が本当に可能だと考えますか?

「そういう世界を作るのが目的であり、みんながそういう考えになってくれたらもっと世界は変わるのに。反対してる人がいるから世界平和は叶わない。」と思っていますか?

「自分の身を守れない人は他者を守れない。」よく聞く言葉です。

耳が痛い言葉です。

私が言いたいのは、自国民ファーストの何がいけないの?根本はそこでしょう?と思うのです。自国民が逆差別に遭うことを黙認せよというのでしょうか?

自分を守る。これなかなか難しいです。個人のことでもなかなか出来ないものなのです。他者が関わってくるからです。他者が増えれば増えるほど、自分を守ることすら難しくなる

それが世の常です。相手のことを思いやる範囲というのは個々違うでしょう。

犯罪者救済団体についても聞きたいです。

犯罪者にも人権がある。しかし、その犯罪者は被害者の人権を奪った

ということを忘れてはなりません。遺族の方々の人権は?

亡くなった被害者より、生きてる加害者を救う。感情ではわかりたくもないけど

法律やら憲法やらで尊重されてるので、そういった意見があることを頭では理解します。

しかし、遺族の人権は?遺族は生きてますよね?あ、加害者遺族の人権もありますね。

考えるとキリがありませんね。そういうところに取り組もうと思って立ち上がってる

人達にはある程度の敬意ははらわなければいけないでしょう。ただ、

どちらの人権を優先するのか。

どこに重きを置くかは個々の倫理観によるものと思っています。

ここに大きな矛盾があるのはお気づきでしょうか?弁護に立った方、その時立ち上がった

人権派団体、裁判官独自の倫理観によって、刑が変わるのです。

こんなの平等ですか?

だから、メディアが偏るのはよくないと言っているのです。偏向報道は危険なんです。

人権侵害だーと口で言うのは簡単です。

思いやりの心を忘れたのか!と人権派の方々はたまに叫びますね。

みんな忘れてませんよ。自国民を守らず他国民を守ることに反発があることは

当たり前ですよね。人権擁護の裏には必ず、逆差別があるからです。

そして不思議なことに、その逆差別に問題提起する人があまり表に出てきませんね?


偏った報道がよくないというのはそういうことです。人々から考える力を奪います。

報道が偏れば多数派に寄ってしまう癖がある私を含む国民は、それに流されます。

左翼、リベラル思考が悪いとは言いません。しかし、片方の意見しか流さず、それが当たり

前と認識されることへの恐怖を感じます。

まぁ、日本の反日左翼の方々はそこが狙いだから、そうするのでしょうが。


歴史は繰り返します。本当に私たち人間は学ばない。

左派に寄ったあと、必ずと言っていいほど右派に寄ります。なぜですか?

抑圧するからです。

左派の人たちは、右派をなぜ排除しようとするのでしょうか。

なぜ右派だけでなく保守までもを排除しようとするのでしょうか?

日本はさておき、世界を守ろうという

高尚な思いからくるものだと思います。

日本で活動され、世界で活動されていての結論なら、それはそれで

良いと思うのです。ただし、日本国籍をあなたがたが持っているのならば、

日本という土台があってこそ活動が自由にできるのです。それを

守るために、まず日本の危機に立ち向かうべきなのではないでしょうか。

誰かを抑えつけることでしか人は共存ができないのでしょうか。

残念ながら、家族間でもそういう場合もありますね。

日本国内でもあります。そこを飛び越えて、

世界から差別をなくそう?区別しているだけの人を排他的に追い込むことで

それを叶えていくのでしょうか?

その世界平和とやらは、自国を貶めなければ出来ないことでしょうか?

理にかなった議論をできるひとはいないのですか?


スウェーデンという国はヨーロッパの日本と言われた国です。今どうなっているでしょうか?

同じことが日本で起きる可能性は、どのくらいだと思われますか?

スウェーデンの移民推奨派だったリベラル思考左翼思考の方々は、

今の現状になにか問題提起しているでしょうか?

人類みな平等を悔いているでしょうか?世界平和なんて夢のまた夢だったと

嘆いているでしょうか?それともこれこそ世界平和への一歩だ。

これでいいと思っているでしょうか?

どちらにしても、移民を受け入れたあとの問題に対して共通して言えるのは、

それまで声高に人権擁護を訴えていた人たちに限って最初は

揃いも揃ってだんまりを決め込んでいました。日本でもよくありますね。

あれ?いつも人権人権叫んでる人達、どこいった?などと言われることも

ありますね。

まぁ日本は反日色が強い左翼の方が多いので、スウェーデンとはまた違います。

やっと、スウェーデンは移民を追放するというところまで来ました。

ただ、入れたものを出すというのはすぐできることではありません。

日本はそこから学ばなければいけません。

現実起こってることから学ぶことは真実を知るためにとても大事なことです。


思想の違い、宗教の違いを受け入れ享受できたのは日本が日本であったからです。

日本人であったからこそ出来たのです。

反日という思想がある方々への「区別」は「差別ではないこと。」


せっかく勇気をだして世界平和を唱えるのだから、そこを加味して、活動をされたらいいのになと心から思います。

果たして、抑圧という形で自分たちの思い描く未来だけを強いて、

世界平和を訴えることはより良い社会になりえるのでしょうか?

基本的に当時者である国が自国民を守るべきです。

残念なことではありますが、

他国が干渉できるのは、その国でその国民を救うよう国際社会で働きかけていくことのみなのです。自国すら守れない個人や団体が他国に干渉し、声をあげ、それを受け入れようとすることは本質の改善にはなりえないのです。

反日勢力がない方々ならば私もここまで強い反発はしなかっただろうと思います。

実際、かなり深部まで反日勢力に侵食されていて、自衛もできないのに、

これ以上増やすのは無理があります。




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